恵那の歴史

正家廃寺跡

しょうげはいじあと

小が廃寺跡

奈良時代(ならじだい)の寺跡(てらあと)で国(くに)の史跡(しせき)になっています。長島町正家地内(おさしまちょうしょうげちない)の丘陵上(きゅうりょうじょう)に、塔(とう)と金堂(こんどう)の基礎(きそ)が残(のこ)っています。東西(とうざい)110メートル、南北(なんぼく)70メートルに、法隆寺式(ほうりゅうじしき)で配置(はいち)する本格的(ほんかくてき)な古代寺院跡(こだいじいん)です。国宝(こくほう)玉虫(たまむしの)厨子(ずし)と同(おな)じ柱(はしら)の配置の構造(こうぞう)の金堂や、貴重(きちょう)な風鐸(ふうたく)、奈良三彩(ならさんさい)など、多(おお)くの特色(とくしょく)があります。屋根(やね)は板葺(いたぶき)か桧皮葺(ひわだぶき)だったと考(かんが)えられています。