恵那の歴史

中山道なかせんどう

中山道

 江戸時代(えどじだい)の五街道(ごかいどう)の一(ひと)つで、江戸(えど)と京都(きょうと)を結(むす)ぶ大切(たいせつ)な道(みち)。長(なが)さ約(やく)541キロで、その間(あいだ)の宿場(しゅくば)の数(かず)が69宿あったことから、中山道(なかせんどう)69次(つぎ)と呼(よ)ばれました。中山道は、市内を約11.4キロにわたって横断(おうだん)し、長島町中野(おさしまちょうなかの)から武並町藤(たけなみちょうふじ)までは、江戸時代そのままと言っていい道が残(のこ)っている。特徴(とくちょう)は、坂道(さかみち)が多(おお)く、「何々坂(なになにざか)」と名(な)づけられている所が19ヵ所(かしょ)もあります。また一里塚(いちりづか)が2ヵ所、道の両側(りょうがわ)に昔(むかし)の形(かたち)で残(のこ)っています。